現在ある写真は地震、津波の爪跡ばかりです。忘れない為にも!
でも今後は違った写真も撮ってアップしていきます!

撮影:ひがし




東日本大震災から2週間後の仙台街中〜駅周辺

仙台の街中は、所々に爪跡はあるものの活気はあった。
でも、休業しているお店がとても多く、特に食べ物屋さんは少なく温かいものを食べるのは困難であった。ホテルでも食事、お湯は無かった。




仙台駅から東へ電車で行ける所まで行き、後は歩いて海岸を目指す。

海岸に近づくにつれ、爪跡は深く大きなものに変わっていく。
途中、船を見つめるお爺さんと遭遇。流されてきてしまったと言い裏返った船を戻そうとしていたので僕も手伝った・・・駄目だった。。。力になれなくてごめんなさいでした。

その後、韓国から震災の状況を見に来たソンさんと遭遇。すごい砂ぼこりの中を歩いていたのでマスクを差し上げた。その後数時間にわたり話しながら歩いた。
仕事で日本と行き来するのでスケジュールを無理に変更して来て下さったという。

震災の次の日から頑張って営業をしていたというお弁当屋さんに立ち寄ったところ、数少ないお弁当を頂く事が出来た。
この時、周辺ではお弁当なんて入手できる場所では無かったのでとても感動した。
みんなで食べたお弁当は美味しかった。

このお弁当屋さんに聞いた話では、震災の次の日、
息も絶え絶え、身なりボロボロ泥だらけという人たちが列をなして「食べ物をください」と並んだという。
このお店の中もかなり津波の被害にあっていたものの、すぐに片付け、使える食材を絞り出し、
懸命に配給したそうです。お店のおかぁちゃん!すごいです!!!!!




僕が泊らせていただいた多賀城小学校の避難所です。

僕がこの避難所を訪ねた時には、当初300人を超えた避難者は半分程度になっていて、スペースにも空きがあったので泊らせていただきました。
責任者の方とたくさん話しました。21:00に消灯だったのだけど、当然寝れない方も多く、、余震もしょっちゅうだし、とても休まらない辛い生活だと実感した。




多賀城の避難所を出て七ヶ浜をぐるりと歩いて・・・

七ヶ浜、海岸沿いに点在する町、集落が壊滅的被害・・・
漁師さんの多い町では命拾いをした人が多いそうでした。
地震発生→高い所へ!が当然だ!という事も聞きました。(漁師さん)

高台の町の人達、この時ガソリン不足の為1回の給油で10リットル制限!!
しかも5時間待ちは当たり前!

想像できないくらい高い所まで津波の被害が広がっていた。
ゆるい坂だったら平気で上ってくるようです。




石巻です・・・・・・・・・・・・

最初に石巻を見たのは、広い範囲の街並みが見える高台からでした。
言葉が無かったです。被害に大きいも小さいも無いのですが・・・

それから町の中を歩きました。
灰の上を歩きました。色々な物が燃えた匂い、海水の混じったにおい、この町は流されただけでなく燃えたのです。
小学校も燃えた。
地震の後、高学年の子達はまだ学校に残り、低学年の子達は帰宅させられた。
そして、津波・・・学校に居た子たちは近くの高台へ避難。逆に帰宅した子達が・・・・・

高台に戻り住人らと話をした。
多くの方が家から出てきて話してくれた。
でも一番多かったのは「助けてあげられなかった」と言う無念の声。

その高台、明らかに20メートルはあるのだが地形のせいか、その時高台の人達ももう駄目かと思った!と言うくらい目前まで津波が迫ってきたという。
その津波の海面には燃え盛る瓦礫や屋根が漂流し、それらの上に避難するも炎に追われ行き場を失った人たちが「熱い!熱い!助けて!」と叫んでいた。
その声が忘れられないと涙ぐむみなさんだった。。。「がんばれー!」としか言えなかったと。




荒浜・・・

荒浜周辺は、警察によって立ち入り禁止の規制中でした。
まだ捜索中だったのです・・・どこもそうだったのですがここ荒浜はあまりに広大な面積が津波にのまれた為、
捜索に難航していた。

荒浜に親族を持つ友人が居た為、警察に掛け合って通してもらった。
その広さにはやはり言葉を失くす。

思ったのは、どれも瓦礫じゃないんだって事!
自分の家が流されたらと思えば・・・


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